今年も作らせていただきました。(裃と遠山庫太郎遺作集)

2月10日・11日に豊橋市の安久美神戸神明社にて「鬼祭り」が行われます。今年は暖かかったり、急に寒くなったりと変な天気ですが、この鬼祭りが過ぎると豊橋には春が来ると言われています。神社周辺の幾つかの町で、執り行われます。

鬼祭り

鬼祭りの赤鬼

今年も、その鬼祭りで着る裃(かみしも)と、中に着るきもの(膝あたりまでのもの)を作らせていただきました。裃という字はころもへんに上下で「かみしも」と読み、上に着るものが肩衣(かたぎぬ)、下が袴(はかま)で上下合わせて裃です。袴は行燈(あんどん)袴でスカートのようになっています。

鬼祭りの裃

鬼祭りの裃

お祭りは毎年2月10日の青鬼の神事から始まり、子鬼などが神社周辺の町内を、うどん粉とたんきり飴を撒きながら走り回ります。

平成27年の様子

平成27年の様子

メインイベントはなんと言っても「天狗と鬼のからかい」です。

27年の天狗と鬼のからかい

27年の天狗と鬼のからかい

「天狗と鬼のからかい」のあと、鬼が逃げる時に、うどん粉にまぶした「たんきり飴」を一斉に撒き、境内は真っ白になります。

鬼祭りの衣装は、かれこれ10年以上前から、とある町の衣装を私の所で作らせていただいています。裃は修業時代、地元の組合で一度、裃の講習会が行われた時に、講習会の準備段階で、講師の私の師匠から「B紙に大きく図面を書いてくれ」と言われ、先輩方と一緒に訳も分からず書いた覚えがあります。その時に使った資料が「遠山庫太郎遺作集」でした。

(一社)日本和裁士会編 「遠山庫太郎遺作集」

(一社)日本和裁士会編
「遠山庫太郎遺作集」

講習会以来、一度も裃を作ったことがありませんでしたが、この仕事を始めて受けた時には、裃など見本をお借りし、「遠山庫太郎遺作集」を参考にして縫いました。本には写真と解説や完成図が細かく載っていて、お祭り衣装風にアレンジして縫いました。前身頃の襞には和紙を貼り、その端には鯨の鬚を入れると解説に書いてありましたが、裏側に接着芯を貼り、張りを持たせるようにしました。

(一社)日本和裁士会編 「遠山庫太郎遺作集」の水裃

(一社)日本和裁士会編
「遠山庫太郎遺作集」の水裃

(一社)日本和裁士会編 「遠山庫太郎遺作集」 水裃の解説

(一社)日本和裁士会編
「遠山庫太郎遺作集」
水裃の解説

その他には、町内の演芸大会に水戸黄門を行うということで・・・・

(一社)日本和裁士会編 「遠山庫太郎遺作集」 踏込(ふんごみ)

(一社)日本和裁士会編
「遠山庫太郎遺作集」
踏込(ふんごみ)

載っている踏込(ふんごみ)を参考にして、こんなものを縫ったり・・・・

水戸黄門の衣装

水戸黄門の衣装

鉄砲隊の方の鎧の下に着る袴を縫ったり・・・・・・

鎧下の袴(紐付け前)

鎧下の袴(紐付け前)

忠臣蔵の浅野内匠頭を演じたときには(町内の演芸大会ですが)・・・・・

(一社)日本和裁士会編 「遠山庫太郎遺作集」 長袴

(一社)日本和裁士会編
「遠山庫太郎遺作集」
長袴

長袴を縫ったりしました。その他、色々参考にして重宝しています。当時、修行中の私にとって「遠山庫太郎遺作集」は結構な値段でしたが、今では宝物です。

2016年1月30日 | カテゴリー : きもの, | 投稿者 : 和裁屋

「和服(きもの)」を無形文化遺産に

日本和裁新聞 28年1月1日号

日本和裁新聞
28年1月1日号

平成28年1月1日に発行された和裁業界の新聞「日本和裁新聞:(一社)日本和裁士会発行」の記事で、手島会長新年挨拶文の中に

「和服(きもの)」の無形文化遺産登録への動きに際し、当会は積極的に参加していきます。(中略)きもの文化の将来を拓(ひら)き、「和服」に光を当てる契機ですので、何卒宜しくお願い申し上げます。

と、掲載されていました。一昨年、地元の組合では「和服を取り巻く上流から下流まで無形文化遺産登録に登録する動きがあるらしい」という報告があり、具体的に動き始め今回の挨拶文に掲載されたと思います。「上流から下流まで」というと、製糸・織り・染色・仕立てといった工程などを意味すると思われます。その工程の代表的なものは、絹糸では、小石丸(こいしまる)など純日本製の蚕があります。織りには大島紬・結城・西陣織などなど。染めは加賀友禅・京友禅・江戸小紋など、その地方の独特な織りや染めが数多く存在します。また、和服は絵画的な要素も多く含まれ、日本独特な四季折々の柄もあしらわれ、わび・さび、粋を表した文様があり、その柄一つ一つに意味があります。

繭と生糸 大きい繭は中国産 小さいのは小石丸

繭と生糸
大きい繭は中国産
小さいのは小石丸

仕立てについては、縫い代を切り落とさず、布を無駄にしないことや、殆ど真っ直ぐに縫ってありますので、折り紙のように平らに畳むことができます。昔、「長屋暮らし」と言ったように、狭い居住空間でも箪笥には和服が収納できるといったことも、長い歴史の中で培われてきた日本人の生活の知恵です。そしてリサイクル性に優れ作り直しもできる「きもの」は、世界でも類を見ない衣類です。

昔、日本人が皆、和服を着ていた時代、反物は全て機(はた)で織っていて、大変貴重なものでした。始めにきものを作り、数回作り直し、次に羽織るものや子供物、その次には小物や赤ちゃんのおしめ、雑巾。最後には細く裂いて、紐や縄状に編んで襷にしたり、作業着の腰紐や背負い籠の肩紐にするなど、ボロボロになってから捨てる習慣が日本人には身に付いていました。その頃、女性の家事は掃除洗濯以外に、針を持ち普段着程度は縫うことができ、穴が空けば繕って着ていました。今のような丸洗いとか、生き洗いとかクリーニングはありませんので、縫った糸を抜いて解き、布を洗って、板に貼り乾かす「洗い張り」も家庭で行っていました。明治生まれの祖母は、洗い張りの板を持っていたのを覚えています。そんなことを思うと、和服にはモノを大切にする「もったいない」の知恵も凝縮されていますね。

今では、昔のようにボロボロになるまで着られる方は皆無で、染み抜き屋さんやクリーニング店に持って行けば、綺麗になります。きものの仕立てでは、世界中に網の目のように張り巡らされている物流のネットワークが発達して、「価格が安い」という理由などで、殆どの和服は海外で縫製されるようになってしまいました。今から20年くらい前に中国で和服の縫製が始まり、一時期は大量に日本から送っていましたが、今では人件費の高騰からベトナムが主流です。

第22回中部ブロック和裁指導者研修会にて 海外縫製についての講演

第22回中部ブロック和裁指導者研修会にて
海外縫製についての講演

大きな体育館のような場所で、自動車の組み立てのように身頃・袖といったパーツに別けて仕立てをしています。ベトナムの人件費も高騰しはじめています。素材は絹糸の蚕は中国産が殆どで、紋入れなども海外でできてしまう時代です。これから、大きな企業は安いところを探して、世界中を転々とするのでしょうか?世界中を駆け巡ったあとには、国内には何も残らなくなり、流れ出てしまったものも消えてしまうような気がします。

国内ではインクジェットプリンターで染色、ハイテクミシンといわれるミシン縫製、紋入れも判子のようなシルクスクリーン印刷というものも、出回っています。
和服をファッションの一部として捉えた場合、和服の形は洋服に近づき、形が変わってゆくのかもしれません。変化することは、「時代の流れ」と言われればそれまでですが、和服には長い時間を掛けた日本人の知恵が詰まっています。温泉に入って、浴衣を着てくつろいだり、お宮詣り・七五三・成人式・結婚式といった通過儀礼では、和服を着ればより一層「身が引き締まる」思いがしますし、和服を目にすれば「和む」時間を与えてくれます。

「和服を無形文化遺産へ」という動きは、始まったばかりかもしれません。このことがきっかけで、幅広い意味での「和服」を大切に、後世の日本人に伝えていってもらえたらと思います。

衿肩明きについて

先日、大島紬の仕立て直しの依頼がありました。お太りになられ、八掛の色がちょっと派手になってきたので、洗い張りをして八掛け取り替えの仕立て直しの依頼です。
早速、解きながら衿肩明きを見てみると、幾度か仕立て直しをされているようですね。洗い張り時に、裂けてしまわないように、糸で綴じて、補強の裏打ちをしました。下の写真は仕立て中の衿肩明きです。

洗い張り品の衿肩明き

洗い張り品の衿肩明き

写真の通り、3回衿肩明きを切り直していますので、3回以上、仕立て直しているようです。
洋服は仕立て直しが殆ど出来ないのに対して、和服は、縫い代を一切、切り落とさないため、世界中でも類を見ないリサイクル性に優れた衣服で、仕立て直しが可能です。しかしながら、ただ一つ大きく切り込みを入れる箇所は、衿肩明きです。今回は衿肩明きについて、いろんな事をお話ししたいと思います。
(私達が普段行っていることなので、地方や呉服店等によって違います。ご了承ください)

◆繰り越しについて

繰り越しは、女物着物に付いています。通常の男物(とても体格のよい方には少し付けています)や子供物には繰り越しは付けません。

繰り越し

繰り越し

上のイラストのように繰り越しは、肩山(畳山の折)からどれだけ衿が後ろ側にずれているかという寸法で、出来上がり(上がり)寸法と、標付けをする際の繰り越し寸法とがあります。(詳しくは下記注1を参考にしてください)

◆衿肩明きの寸法について

衿肩明きは背縫いからどこまで深く衿が付いているか、という寸法です。

衿肩明きと繰り越し

衿肩明きと繰り越し

衿肩明きの寸法は通常9.2cm程度で、体型によって変化します。女物の場合、繰り越しをして着用しますので、首の付け根周りを測ってその寸法の1/4します。男物の場合は繰り越しはしないので首の中心を測って1/4します。少々男物の方が衿肩明きは小さめです。

衿肩明き採寸箇所

衿肩明き採寸箇所

寸法の表し方には3種類あり、私達は出来上がりの衿肩明き寸法を使っています。呉服店や、地方によって様々なようです。

3種類の衿肩明き寸法

3種類の衿肩明き寸法

 

◆衿肩明きの切り方について

衿肩明きを切る位置ですが、きものを仕立てるときに、唯一、大きく切り込みを入れる衿肩明きですので、リサイクル性を考えて、無地や小紋のきものの場合、前身頃と後身頃の中心(四ッ山)に衿肩明きの切り込みを入れます。

身頃の中心に衿肩明きの切り込みを入れます。

身頃の中心に衿肩明きの切り込みを入れます。

布の中心に衿肩明きがあるので、女物の場合、繰り越しを付けるために、後身頃を繰り越し分(繰り越し×2)ダブらせて標付けをします。出来上がったきものを見ていただくと分かりますが、後身頃の内揚げが前身頃の内揚げより多いのは、そのためです。

付下げや訪問着などの柄合わせがあるきものは、柄合わせをして、肩山が決まり、肩山から繰り越し分下がった箇所に、衿肩明きの切り込みを入れます。また、紋付きは紋上端からの距離から衿肩明きの位置を決めます。

今まで私が仕事をしてきて、衿肩明きの切り方には、大きく3種類の切り方があるように思います。この切り方によって、衿を付けるカーブの度合いも違ってきます。

  • 真っ直ぐ切る衿肩明き
    真っ直ぐな衿肩明き

    真っ直ぐな衿肩明き

    この衿肩明きは、真っ直ぐに切り込みを入れますので、前身頃と後身頃を入れ替えたりする場合に都合がよく、仕立て直す場合に一番有効な切り方です。但し、衿肩明きから剣先(衽の一番先端)まで、衿付けが緩やかに、スムーズにカーブを付けないといけないため、衿肩明きの裁ち切りから2cm程度「付け込み」をしないと、うまく衿が付きません。しかも、縫い代が深いため、布地が吊ってしまう場合があります。

  • ちょっとカーブを付けた衿肩明き
    カーブを付けた衿肩明き

    カーブを付けた衿肩明き

    私達が通常、衿肩明きの切り込みを入れている方法です。普通体型の場合、約2cm手前から0.8cmのカーブを付けます。特異体型の場合は少々カーブを大きくします。背では衿肩明き裁ち切りから1cmの深さで衿を付け、衿肩明き先端では0.2cmの深さで縫います。(注1:繰り越し(上がり)は繰り越し+衿付けの縫い代約1cmの寸法です)

  • 肩山まで切る衿肩明き
    肩山まで切る衿肩明き

    肩山まで切る衿肩明き

    上のイラストのように、肩山まで衿肩明きを切る切り方があります。仕立て直しがやり辛く、前身頃と後身頃を入れ替える場合では、衿肩明きが向かい合って布地が切り落とされてしまう場合があります。今まで仕事をしてきて、直し物などのきものに多いような気がします。

  • 男物の衿肩明き
    男物の場合は、繰り越しが付かないので、真っ直ぐ、あるいは0.2cm程度のカーブを付けて衿肩明きを切っています。

以前、きものを日常着にしている方が、「長襦袢の衿と着物の衿のそぐいが悪い」とおっしゃっていたので、着物と長襦袢を見てみると、衿肩明きや衿の付け方が違っていました。長襦袢の衿付けを直しましたが、同じ仕立屋で作ったものならば、同じ衿付けのカーブで付けますので、そぐいよく着られると思います。

また、浴衣を持ってこられた方に、「衿は角張って付けないでね」と言われたことがあり、大きくカーブを付けて衿肩明きを切って、衿付けをしました。

些細なことかもしれませんが、着る方にとって居心地悪い着物とならないように、寸法見本は出来るだけお預かりするようにしています。

着物の寸法について01

以前、聞いた和裁士(お師匠さん)の話です。

昔、呉服店に伺ったところ、ちょうど、着物を購入されたお客さんがいました。呉服店店主とその着物について話をしている中で、「並でいいですか?」と店主に話しているのを聞いたお客さんは、「並では困る。特上にしてくれ!」と言われました。

「並」と言っているのは、寸法のことでお客さんは、仕立てのランク(上手・下手)のことを勘違いして聞いたという笑い話ですが、私が仕立ての勉強をしはじめた頃では、女物並寸法と言えば、

  • 身丈    4尺(151.5cm)
  • 裄      1尺6寸5分(62.5cm)
  • 袖幅     8寸5分(32.2cm)
  • 肩幅   8寸(30.3cm)
  • 前幅   6寸(22.7cm)
  • 後幅   7寸5分(28.4cm)
  • 妻下   2尺(75.8cm)

という寸法が並寸法として残っていました。この寸法の中で前幅・後幅は地方色があり、関西圏は前幅6寸・後幅8寸、関東圏は6寸・7寸5分でした。徳川家康は三河の出身で、当時三河地方は大変貧しく、倹約していたことから、寸法も狭めでした。その徳川家康が、多くの家臣達を引き連れ江戸に行ったため、着物の標準寸法も狭く作ることが名残として残ったそうです。

また、私が経験したことは、中学校へ浴衣作りを教えに行った時のこと。呉服屋さんも参加していて、それぞれの生徒の寸法を決めていたときに呉服屋さんは、長身の生徒の妻下寸法を「2尺の並でいいんじゃない」と言っていたの聞き、違和感と疑問を感じたことを思い出します。
現在では、体型に合わせた寸法を基に、好みも加味され寸法が決められています。振袖などは、お端折りを少々多く出して若く見せたいので身丈を長くとか、農作業をしていて日焼けしていて手が大きいので、手が少し隠れる様に裄を長くするとか、着る方の好みを取り入れて仕立てるようにしています。

 

 

 

 

掛け衿の話(経験談)

この付下げは話の内容と一切関係はありません。

この付下げは話の内容と一切関係はありません。

以前のブログで「掛け衿と半衿の話」では、掛け衿について私達が日頃、この様に仕事をしていますという内容を載せましたが、今回は掛け衿(共衿)についての、経験談をちょっと載せてみます。地方や呉服店、和裁の修業先によっても違いますので、ご了承くださいね。今から十数年前の話ですが・・・・・・

夕方、当時仕事をしていた地元の呉服店から、翌日の朝7時頃、お店に来て欲しいとの連絡がありました。急なことでしたので困惑しましたが、掛け衿について、お客さんに説明をして欲しいとのこと。

内容をよく聞いてみると、

  • 付下げを購入したお客さんの掛け衿を二枚取って欲しいという要望が、呉服店に伝わっていなかったらしい。
  • しかし、もうすでに他の仕立屋で仕立て中であったため、付下げを解き、洗い張りに出して元の状態にしたとのこと。
  • 洗い張りが上がってきたので、その反物を持ってお客さん宅へ行き、説明をして欲しい。
  • お茶の先生で、着物に詳しく、早朝にしか都合が付かない。

と言った内容でした。正直、私は朝が苦手なのですが、承諾し、早朝、物差しなど和裁道具を持って呉服店に行き、商用車で店員の方と一緒にお客さん宅へと向かいました。
お客さん宅に着き、反物を広げたところ、幸いにも掛け衿と本衿(地衿)の柄がなく、無地でした。本衿と掛け衿がまだ切れていなく、衿衽の布丈が通常より長かったことなどを確認し、お客さんの寸法で衿丈を計算。本衿布の長さをぎりぎりで取り、残りの布丈を測ると約47cm位の掛け衿が二枚取れることが分かりました。

お客さんには、「掛け衿を二枚取ることは出来ますが、この長さは浴衣などの長さで、ちょっと短めです。本衿もぎりぎりなので、洗い張りなどをした場合、縮んで妻下の寸法が変わってしまうかもしれません。」などなど・・・・作り直したりする場合の縫い代のバランスなども説明しました。でも、お客さんは、気に入った柄で長く着たいので、掛け衿を二枚取って欲しいということでした。その後、その付下げを仕立てることとなり、掛け衿は別付け別納めで縫ったことを思い出します。

今思うと、私はずいぶんと若かった頃で・・・・・この様なことは初めての体験。どきどきしながら、とても緊張したことを思い出します。
そして、仕立てをする時にはスリーサイズから割り出した、決まった寸法で作るのではなく、着物をどんな使い方をするのかとか、着る方の要望をよく聞き、分かりやすく説明しないといけないなあ~と感じた日でした。

掛け衿と半衿の話

掛け衿について
女物大島の掛け衿

女物大島の掛け衿

現在、着物には掛け衿という本衿(地衿)の上にもう一枚、共地の布が付いています。

女物袷着物の掛け衿

女物袷着物の掛け衿

掛け衿の役目は本来、布の補強と汚れたら掛け衿を取り外し、洗ったり出来ます!という布です。半纏や時代劇によく出てくるパターンで、娘さんが着ている黄色地に格子の着物の衿に、黒繻子が付いているのを見かけたことがあると思いますが、同じ発想ですよね。昔はクリーニングも無かった時代で、洗うと言えば「洗い張り」だったんでしょうね~。だからよく汚れる首回りの掛け衿を、簡単に取り外せる工夫をしたのでしょうね。

私が仕事を始めた20数年前までは、反物を裁断する時に、掛け衿を交換するように、二枚取る裁断法がありました。

  • 女性物の掛け衿
    地方などによって変わりますが、女性物着物の掛け衿の長さは、着物の種類によって変えています。浴衣は剣先から約10cm程度を目安に(背からの長さは45cm程度)、着物(袷・単衣)となると浴衣より少し長めで背からの長さは48cm程度です。衿肩明きや繰り越しが大きい場合や、反物の長さが短い場合はこの限りではありませんが、このくらいを目安に仕立てていました。でも、最近ではもう少し長めで50cm程度が多いようです。昔の着姿は帯揚げの上に掛け衿先が見えていた方が多く、現在は長めになったために掛け衿先が見えない着姿を見るようになりました。
  • 男性物の掛け衿
    男性の着物は、女性物と比べ剣先が高く(衽下がりが短い)、掛け衿の長さは40cmちょっとでしょうか。

仕立て方について

地元の呉服屋さんで一軒、きものの掛け衿を「別納め」にして下さいという指示をしていたお店がありました。長襦袢の半衿のように本衿の上にのっているように付けます。衿裏側から見ると下のイラストのようになります。掛け衿のみが取り外せます。私たちはこの掛け衿の付け方を「別付け・別納め」と呼んでいます。バチ衿、棒衿でも別納めの場合、本衿を出来上がりにくけ付け(納め)てから、掛け衿を本衿にくけ付け(納め)ます。

掛け衿 別納め

掛け衿 別納め

浴衣以外の着物の場合、本衿を身頃に付けてから、掛け衿先を縫い、本衿付けの根元に掛け衿をくけ付けます。(別付けといいます)
それに対して浴衣は、本衿に掛け衿を綴じ付けてから、掛け衿と本衿を一緒に身頃に縫い合わせ、衿幅で折り返し、掛け衿で本衿を包み一緒に身頃にくけ付ける(納める)方法で、この方法を「束付け・束納め」と呼んでいます。

浴衣の掛け衿 束付け・束納め

浴衣の掛け衿
束付け・束納め

 

現在、着物の掛け衿で多いのは、「束納め」です。

掛け衿 束納め

掛け衿 束納め

仕立ての最後に本衿を掛け衿で包み、衿裏と表衿(本衿・掛け衿)を本ぐけします。この方法は「別付け・束納め」とよんでいます。
現在、自宅で掛け衿を外して、掛け衿だけを洗って(染み抜き)、そして掛け衿を縫い付けるという作業をする方が殆どいなくなりました。着物もクリーニングする時代で、手軽に丸洗い出来てしまうので、こんな仕立て方に変わってきたようですね。

半衿について
長襦袢の半衿

長襦袢の半衿

長襦袢には正絹(絹100%)や化繊物の半衿を付けます。白や刺繍が施してある物、ビーズで出来た物やバイアスに織った物もあります。男物のように色が付いた物など様々な物が出回っています。
長襦袢の「ジュバン」の語源はポルトガル語の下着を意味する言葉といわれています。昔、肌が直接触れる襦袢の衿には、手ぬぐいを縫い付けたそうです。時間が経って、お洒落に、粋な半衿が出回るようになりました。呉服店の名前で「えり○○」とか看板で見かけるかと思いますが、昔は半衿やさんだったケースが多いと聞きます。

布の性格を考えて(大島の仕立て)

先回のブログに関連した内容です。

袷着物は、表地(きもの地)・胴裏地・八掛と三種類の生地で成り立っています。
胴裏地は糸の太さ、糊の量などいろいろありますが、縮み具合はそれほど大差はありません。
八掛は染めや糸の太さ、織り方も様々で紬の八掛以外は、とても縮むものもあります。
表地は縮緬、お召し、羽二重、紬等など八掛以上に、千差万別で地直しの作業は、布の端で色々試してから行っています。

その中の紬といえば結城紬、白山紬、信州紬などありますが、大島紬は同じ紬絹織物でも織り糸の性質が違い殆ど縮みません。(布の縮み具合:参照)
大島紬を仕立てて時間が経過すると、下の写真のように胴裏地や八掛が縮んだ結果、表側がビリ付き、緩んだ状態になってしまいます。

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