半衿、衣紋抜き、長襦袢の衿芯や居敷当て、単衣着物の衿裏、男物袖口布なども扱っています。(税別価格です)
衿芯 500円
衣紋抜き 400円
長襦袢用居敷当て(正絹) 1,500円
長襦袢用居敷当て(化繊) 1,000円
半衿(正絹) 1,800円~
半衿(化繊) 1,000円~
男物袖口布 1,300円~
単衣着物の衿裏(正絹) 1,700円
単衣着物の衿裏(化繊) 1,500円
その他 ご要望があれば取り寄せします。
(上記価格は変更する場合がございます)
袷衣着物仕立て上がりの善し悪しを決めるのは、胴裏地と言っても過言ではありません。
胴裏地は、様々な厚みや織り方など市販されていますが、一定の長さ(面積)で重みがどれくらいあるかという表示がされており、中には糊を含ませて織り、重さの水増しをしている粗悪品もあります。触って比べてみるとパリッとしていて、しなやかさがありません。
私どもでは、信頼している群馬県にある会社より取り寄せ、糊を含まない水のみで織った胴裏を永年使用しています。一般の胴裏地よりちょっと厚めで、しなやかです。しっかりと地のし(仕立て前に生地が狂わないようにアイロンをかけること)をしていますが、縮みが少なく、表生地ともしっくり仕立てることができます。
◆正絹胴裏地等の価格(税別)
普通袖着物の場合
10,000円程度
振袖用の場合
12,000円程度
袷長襦袢の裏地
6,000円~
居敷当て
2,000円程度
比翼地
15,000円~
男物裏地(正絹)
18,000円~
男物裏地(綿)
10,000円~
男物袖口布
1,300円~
着物用居敷当て(単衣の場合に付けます:裾から腰)
正絹2,000円 化繊1,400円
普段仕事をしていて、欠かせない道具の一つに「かけはり」があります。「掛け針器」とも言いますが、私達は「かけはり」と呼んでいます。くけ台に紐で付けて、布を挟み引っ張って縫ったりしています。販売している会社は現在、独占?なのか分かりませんが、結構高い値段で売っていますよね~。
私達は毎日仕事をしていて、使用頻度が高いのか、私の使い方が雑?なのか、新品を下ろして数週間で、下の写真の赤丸で囲んである部品が取れてしまうことが、よくあります。
まだゴムは、バリバリ厚いのに(T_T)
スプリングも全然OKなのに~(-_-;)
壊れた「かけはり」
「使い物にならない! けど、もったいない」と思いつつ、引き出しにしまっておきました。ある日、ホームセンターでネジのコーナーをみていたら、一番小さなボルトとナットのセットを発見!100円くらいだったでしょうか。「これで直る」と思い、早速、試してみました。(この修理法は、あくまでも個人のアイデアです。不具合が起きても自己責任でお願いいたします)
ネジが穴に入りづらいので、目打ちでグリグリして、少し穴を大きくします。細い「棒やすり」の方がいいかもしれませんね。
穴にネジを入れ、ボルトを締めてゆきます。精密ドライバーがあると便利です。
このままですと、ネジが廻って外れてしまいますので、瞬間接着剤をボルトに一滴垂らして、廻ってしまうのを防ぎます。たくさん付けすぎると、ボルトの下にまで浸み込んで、掛け針が動かなくなってしまいますので、注意してください。
少し時間をおいて、動くかどうか、確認をします。
その後、一晩おいて接着剤を乾かします。この方法でゴムがへたるか、スプリングが壊れるまで使えますよ!
※但し、デメリットもあって、ネジの部分(下の写真の赤丸部分)に糸が引っかかると、糸が汚れてしまいますので、注意してください。
この修理法はDIY 自己責任で行ってくださいね。
修理によって発生した不具合は自分でリスクを追ってください。
2月10日・11日に豊橋市の安久美神戸神明社にて「鬼祭り」が行われます。今年は暖かかったり、急に寒くなったりと変な天気ですが、この鬼祭りが過ぎると豊橋には春が来ると言われています。神社周辺の幾つかの町で、執り行われます。
鬼祭りの赤鬼
今年も、その鬼祭りで着る裃(かみしも)と、中に着るきもの(膝あたりまでのもの)を作らせていただきました。裃という字はころもへんに上下で「かみしも」と読み、上に着るものが肩衣(かたぎぬ)、下が袴(はかま)で上下合わせて裃です。袴は行燈(あんどん)袴でスカートのようになっています。
鬼祭りの裃
お祭りは毎年2月10日の青鬼の神事から始まり、子鬼などが神社周辺の町内を、うどん粉とたんきり飴を撒きながら走り回ります。
平成27年の様子
メインイベントはなんと言っても「天狗と鬼のからかい」です。
27年の天狗と鬼のからかい
「天狗と鬼のからかい」のあと、鬼が逃げる時に、うどん粉にまぶした「たんきり飴」を一斉に撒き、境内は真っ白になります。
鬼祭りの衣装は、かれこれ10年以上前から、とある町の衣装を私の所で作らせていただいています。裃は修業時代、地元の組合で一度、裃の講習会が行われた時に、講習会の準備段階で、講師の私の師匠から「B紙に大きく図面を書いてくれ」と言われ、先輩方と一緒に訳も分からず書いた覚えがあります。その時に使った資料が「遠山庫太郎遺作集」でした。
(一社)日本和裁士会編
「遠山庫太郎遺作集」
講習会以来、一度も裃を作ったことがありませんでしたが、この仕事を始めて受けた時には、裃など見本をお借りし、「遠山庫太郎遺作集」を参考にして縫いました。本には写真と解説や完成図が細かく載っていて、お祭り衣装風にアレンジして縫いました。前身頃の襞には和紙を貼り、その端には鯨の鬚を入れると解説に書いてありましたが、裏側に接着芯を貼り、張りを持たせるようにしました。
(一社)日本和裁士会編
「遠山庫太郎遺作集」の水裃
(一社)日本和裁士会編
「遠山庫太郎遺作集」
水裃の解説
その他には、町内の演芸大会に水戸黄門を行うということで・・・・
(一社)日本和裁士会編
「遠山庫太郎遺作集」
踏込(ふんごみ)
載っている踏込(ふんごみ)を参考にして、こんなものを縫ったり・・・・
水戸黄門の衣装
鉄砲隊の方の鎧の下に着る袴を縫ったり・・・・・・
鎧下の袴(紐付け前)
忠臣蔵の浅野内匠頭を演じたときには(町内の演芸大会ですが)・・・・・
(一社)日本和裁士会編
「遠山庫太郎遺作集」
長袴
長袴を縫ったりしました。その他、色々参考にして重宝しています。当時、修行中の私にとって「遠山庫太郎遺作集」は結構な値段でしたが、今では宝物です。
日本和裁新聞
28年1月1日号
平成28年1月1日に発行された和裁業界の新聞「日本和裁新聞:(一社)日本和裁士会発行」の記事で、手島会長新年挨拶文の中に
「和服(きもの)」の無形文化遺産登録への動きに際し、当会は積極的に参加していきます。(中略)きもの文化の将来を拓(ひら)き、「和服」に光を当てる契機ですので、何卒宜しくお願い申し上げます。
と、掲載されていました。一昨年、地元の組合では「和服を取り巻く上流から下流まで無形文化遺産登録に登録する動きがあるらしい」という報告があり、具体的に動き始め今回の挨拶文に掲載されたと思います。「上流から下流まで」というと、製糸・織り・染色・仕立てといった工程などを意味すると思われます。その工程の代表的なものは、絹糸では、小石丸(こいしまる)など純日本製の蚕があります。織りには大島紬・結城・西陣織などなど。染めは加賀友禅・京友禅・江戸小紋など、その地方の独特な織りや染めが数多く存在します。また、和服は絵画的な要素も多く含まれ、日本独特な四季折々の柄もあしらわれ、わび・さび、粋を表した文様があり、その柄一つ一つに意味があります。
繭と生糸 大きい繭は中国産 小さいのは国産の小石丸
仕立てについては、縫い代を切り落とさず、布を無駄にしないことや、殆ど真っ直ぐに縫ってありますので、折り紙のように平らに畳むことができます。昔、「長屋暮らし」と言ったように、狭い居住空間でも箪笥には和服が収納できるといったことも、長い歴史の中で培われてきた日本人の生活の知恵です。そしてリサイクル性に優れ作り直しもできる「きもの」は、世界でも類を見ない衣類です。
昔、日本人が皆、和服を着ていた時代、反物は全て機(はた)で織っていて、大変貴重なものでした。始めにきものを作り、数回作り直し、次に羽織るものや子供物、その次には小物や赤ちゃんのおしめ、雑巾。最後には細く裂いて、紐や縄状に編んで襷にしたり、作業着の腰紐や背負い籠の肩紐にするなど、ボロボロになってから捨てる習慣が日本人には身に付いていました。その頃、女性の家事は掃除洗濯以外に、針を持ち普段着程度は縫うことができ、穴が空けば繕って着ていました。今のような丸洗いとか、生き洗いとかクリーニングはありませんので、縫った糸を抜いて解き、布を洗って、板に貼り乾かす「洗い張り」も家庭で行っていました。明治生まれの祖母は、洗い張りの板を持っていたのを覚えています。そんなことを思うと、和服にはモノを大切にする「もったいない」の知恵も凝縮されていますね。
今では、昔のようにボロボロになるまで着られる方は皆無で、染み抜き屋さんやクリーニング店に持って行けば、綺麗になります。きものの仕立てでは、世界中に網の目のように張り巡らされている物流のネットワークが発達して、「価格が安い」という理由などで、殆どの和服は海外で縫製されるようになってしまいました。今から20年くらい前に中国で和服の縫製が始まり、一時期は大量に日本から送っていましたが、今では人件費の高騰からベトナムが主流です。
第22回中部ブロック和裁指導者研修会にて
海外縫製についての講演
大きな体育館のような場所で、自動車の組み立てのように身頃・袖といったパーツに別けて仕立てをしています。ベトナムの人件費も高騰しはじめています。素材は絹糸の蚕は中国産が殆どで、紋入れなども海外でできてしまう時代です。これから、大きな企業は安いところを探して、世界中を転々とするのでしょうか?世界中を駆け巡ったあとには、国内には何も残らなくなり、流れ出てしまったものも消えてしまうような気がします。
国内ではインクジェットプリンターで染色、ハイテクミシンといわれるミシン縫製、紋入れも判子のようなシルクスクリーン印刷というものも、出回っています。
和服をファッションの一部として捉えた場合、和服の形は洋服に近づき、形が変わってゆくのかもしれません。変化することは、「時代の流れ」と言われればそれまでですが、和服には長い時間を掛けた日本人の知恵が詰まっています。温泉に入って、浴衣を着てくつろいだり、お宮詣り・七五三・成人式・結婚式といった通過儀礼では、和服を着ればより一層「身が引き締まる」思いがしますし、和服を目にすれば「和む」時間を与えてくれます。
「和服を無形文化遺産へ」という動きは、始まったばかりかもしれません。このことがきっかけで、幅広い意味での「和服」を大切に、後世の日本人に伝えていってもらえたらと思います。