パリオリンピックが終わりました。

8月11日にパリオリンピックが閉会しました。日本は獲得金メダル20個で海外オリンピックでは過去最多数、アメリカ・中国に次いで3位でした。私の家で盛り上がって見ていたのは、バレーボールや卓球でした。手に汗握る試合展開!もう少し、あと一点というところで惜敗してしまいました。他に気になって見ていたのは柔道です。日本のお家芸とも言われていて、何個の金メダルが取れるかと期待が大きかった種目でした。

そこで気になったのは、柔道着の着方ですが、和服と同じ右衿を先に、左衿を後に着る着方「右前」です。でも洋服は、男女で衿の打ち合わせが違います。外国の柔道選手で「着方なんか関係ないじゃん!」という方はいなかったのかな?対戦選手の利き手によって衿の打ち合わせを変えれば、組み方で有利になるとも思います。で、調べてみたら、一橋大学体育会柔道部のHPに掲載されていました。以下要約しますと

「1996年アトランタオリンピックで田村亮子選手が決勝で当時無名の北朝鮮選手に負けてしまいました。この北朝鮮選手は柔道着を「左前」に着るという奇策に出ることで、組み手争いを優位に進め勝利しました。この件を受け、国際ルールには「右前」に着ることが明文化されました。」とあります。

では、日本ではいつから「右前」に着るようになったのでしょうか。大陸の文化の影響があった古墳時代後期では、埴輪に見られるように「左衽着装法」(さじん)といって男女とも現在の逆の「左前」に衿を合わせていました。

奈良時代となり養老3年(719年)元正天皇が「衣服令」を発令。衿は右を先に合わせる「右衽着装法」(うじん)が用いられるようになり今日に至ります。

私達、仕立屋では左前の部分を上前といいます。例えば上前身頃=左前身頃、上前衽=左衽、上前衿=左の衿というように使い、逆の右前側の部分を下側に着ることから下前と言います。後側は、右後身頃・左後身頃と呼んでいます。この「右前」にすることによって、左側の身頃を引っ張って着ることから、背縫い縫い代(被:きせ)は左身頃側に倒すようになったと聞いています。

また、死装束では生の逆の死であって、生きている人の着方の逆「左前」に着せ、仕立て方も背縫いは右身頃に倒し、縁を裂くという意味で裁断は鋏を使わず、布を裂きます。縫い方は、留める・結ぶ・重ねる・戻るといった意味を嫌い、糸端の玉留め、糸を結ぶ、返し針、縫い重ね、などはせず、縫いっぱなしで作ると言われています。

お昼の情報番組で、どこかのグルメイベントの中継がありました。リポーターの方は浴衣を着ていましたが、襟元ははだけ、裄が長く、幅も合っていなく、だいぶ大きめな感じでした。来場者にインタビューをする場面で小っちゃい子供を連れた3人家族の母親も浴衣を着ていましたが、衿合わせが逆。知らないというのは恐ろしいです。テレビ中継でこんな事を度々、目にする事がありますが、番組の現地ディレクターとか誰か一声掛けることは出来なかったのかと思います。

柔道では、柔道着の着方、裄や丈などのサイズまでルールとして明記されています。一般の方のきものの着方には柔道のようなルールや罰則はありませんが、日本人ならば、日本文化のきものの着方は、知っておいてほしいです。

参考書籍:きもの文化検定公式教本Ⅱ